2012年3月18日日曜日

大山永世名人の将棋に最近はまってます。しかし現代の将棋と感覚が違うので理解す...

大山永世名人の将棋に最近はまってます。しかし現代の将棋と感覚が違うので理解するのがとても難しいです。



ずばり、大山将棋とはどういったものなのでしょうか?



詳しくおねがいします!


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現在流行の振り飛車と少し違う点は、常に歩の後ろに駒が居る感じで重厚、大山将棋には中盤が2回あると言われた、危険をおかして勝ちに行くより負けない手に重点をおいた将棋で手数が長くなるのを苦にしない棋風、しかし個々の手は非常に軽くて柔らかく天才的で大山にしか指せない手が多かった。升田・山田の剛に対し大山の柔、振り飛車を多く指すようになってからは真理を追究するより勝負に重点をおき、決め手を与えない受けで相手を圧倒した、大山将棋の大局観は、攻めたいのをじっと我慢して1回目のチャンスは見逃す替りに相手にも何もさせない、今でも角道を止める振り飛車(特に四間飛車)には大山将棋が十分に生きています。


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升田の超攻めに鍛えられて受けが超強くなってしまった。それ以降は余裕、、、



内藤本の忘れられないエピソードを一つ



棋聖戦でタイトル保持者の内藤が前夜祭の夕食に少し遅れてしまった。それでも内藤は棋聖、つまり主賓のようなもので食べずに待ってくれてるだろう、食事を始めてしまったとしても拍手で迎えられるだろうと思って着いたら既に食事が終了して片ずけを始めていた。大山はその取り巻き棋士と麻雀をして内藤は全く無視。怒り狂った内藤は食事も取らずに寝たが当然眠れず翌日は睡眠不足で敗戦。



盤外戦術と言われるがそれを苦にしないタイトルへの執着心と精神的強さを持っていた。



追記

>以前、羽生さんが大山さんはその場で考えてるのではなく、大局観で指してるような印象だと言ってました。きっと常識、定跡に囚われずに指すんだと思います。



大局観がないのが大局観。

山田の研究、二上の鋭い責め、どんなに考えても研究には勝てずに悪くなる、、、大局観というなら大局観がないのが大局観。悪くなっても最後には勝ちますよ、という大局観で良く言えば孫悟空がいくら暴れてもお釈迦様の手の上でそこからは出られない、助からないと思っても助かってる、、、最後に勝つのは私、、、というのが大局観でそれを理解できるのは羽生くらいなもの。。。


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大山名人は人間性悪説に徹していて、どうせ人間は誤るものだし将棋は間違えるものだ、と達観していました。完璧な指し回しで最短距離の勝利を目指す…などは夢にも考えない方でした。質問者は「詳しくおねがいします!」と求めていますので、以下は長文ですが、以前の回答を再掲します。



「将棋は悪手をより多く指した方が負ける」という、ゲームの本質を見抜いていたことに尽きます。「私も3回間違えるけど、あなたを4回間違えさせますよ」という将棋でした。ある棋士は「大山名人は催眠術を使う!」と信じ、面と向かって対局することを避け、一手指しては控え室に行き、記録係が呼びに来たらまた対局室に戻って指す、ということを繰り返していたそうです。催眠術はオーバーにしても、最善最強を求めず、時には故意に悪手を指し、相手を思考の迷路に引きずりこみ、紛らわしい局面に誘導する術にたけていたと思われます。人間心理の洞察力に長じていた、とも言えます。ある本にはこう書いてあります。「なんでも同歩と取る。素人臭い手をやってくる。だから簡単に序盤でこちらが優勢になる。中盤でA,B,C,3つの選択肢があり、どれを選んでも勝てそうに思える。しかし現実はAを選べば優勢を維持し、Bは形勢不明、Cは確実に逆転するという構造になっている。そういう局面を一局に何度も何度も意図的に作り出す。そしてついには疲れ果ててCを選んでしまう」と。これが中原名人に対して通用しなかったのは、中原氏が良い意味での精神の鈍感さを持ち合わせていたからではないでしょうか。羽生名人は大山将棋を並べて「強さの秘密がわかった」と言っています。どのようにわかったのか?それを技術的に説明してもらっても、私には、そしてあなたにも、永遠にわからないでしょう。


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以前、羽生さんが大山さんはその場で考えてるのではなく、大局観で指してるような印象だと言ってました。きっと常識、定跡に囚われずに指すんだと思います。


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「受け」です。相手の2八飛に対して、3九金と受けるような感覚です。

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