2012年2月25日土曜日

将棋の名人戦は.相手が降参?(専門用語は.分かりません>すると勝負がつきます。子供...

将棋の名人戦は.相手が降参?(専門用語は.分かりません>すると勝負がつきます。子供の頃から将棋をやっています。王手を取られるか.逃げる所が.
無くならるまでやるます。プロの将棋は.まだ逃げる所があっても.勝敗がつきます。何か自分が不利になったら、やめたって感じがします。王が取られるか.逃げる所が無くなるまでやればいいと思いますが.どう思いますか?


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どこで投了するかは、各自によりますが、玉を詰められるところまで指してしまうのはみっともないというのがプロの感覚なんじゃないですかね。基本的には不利になったぐらいでは降参しませんよ。給料かかってますし。「ここから先はどうやっても勝てない」と思ったところで投了するわけです。



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将棋の棋力が高くなってくると、形勢の微妙な差がとても大きいんです。

例えばアマ高段でも序盤で一歩損するだけで6割方勝てなくなったりもします。

素人目には勝負がついてないように見えても、プロの目からすると王様が逃げられないと同じようなものなのです。

また、将棋に対する意識もだいぶ違います。棋譜は永遠に残るものなので、無駄に粘っても将棋の内容が汚くなってしまいます。そういうのを嫌うプロ棋士は多いと思います。


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それだと、なぶり殺しができちゃいますからねぇ(実際するかしないかは別として)。

絶望の中、トドメをさされることなく少しずつ駒を取られていくのは拷問です。

棋譜だって、勝負が決してから先はくだらないものになるでしょう。

切腹の機会を与えてあげるのが、武士の情けではないでしょうか。


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降参することを投了(とうりょう)と言います。実際に駒を投げるわけではありません(笑う)。単に頭を下げて「負けました」というのが儀式です。あるいは持ち駒に軽く手を触れる棋士もいます。

俗にいう頭金で詰む図面はプロではお目にかからないようです。そうなる前にその手順を避けているのです。あるいはその手順を避けても勝つ手順が無いと思った場面で投了しています。


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プロの場合は、お互いの実力がわかっていますので、ある程度差がつけば、絶対に逆転できないと悟るわけです。

これが、プロとアマチュアの駒落ちの場合は、どんなに不利でもプロが諦めなければ、いつかきっと逆転できます。

アマチュアの場合は、玉が取られるまで戦った方が勝率は向上します。

アマチュアの大会では結構な強い人でも、勝ちたい一心で玉が取られるまで戦うことが多いです。

アマチュアの大きな大会では、信じられない手が、結構出ます。ボクも数多くやりました。また相手からの勝ち星もたくさん拾いました。


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貴方は、うっかり王手飛車を食らったり、思わぬミスで序盤早々、大変な駒損しても投げないんですか?

私なら投げます。それが礼儀と思っています。

中盤、終盤においても大差がついていれば同様に投げます。

将棋の名人戦だけではないです。アマでも一緒です。

まだ逆転のチャンスがあれば、誰も投げません。投了図はそのチャンスが無いほどの差がついているのです。


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将棋も囲碁も、プロはみっともない真似ができないと思ってる節があるんですね。

「いい棋譜を作るのが、仕事なんだ」と。

なので、詰まされた惨めな形を棋譜に残してさらしたくないわけです。









さらに言えば素人さんからは「諦めてる」ようでも、我々からすればすでに「終わってる」のが共通認識です。

将棋指しと言うのは、思った以上に手が分かるものです。。

素人さんから見れば、イロイロ手が見えて何指せばいいかも分からないかもしれませんが、プロならだいたいの手に見当がつきます。

最後の詰めなんか、アマチュアの初級者でもできるレベルです。



その局面でも指し続けるのは、「諦めない」のではなく、「相手は禁じ手を指して負けるんだ!」という、なんだか曲がった願望のようでとても醜いです。

また、相手にもプロとして失礼です。





これは意外と奥が深い問題かもしれませんね。

しかし、少なくともプロではそれが美徳とされてます。


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将棋のプロの方は物凄い記憶力の持ち主で今までの棋譜や定石により何十手先までも読んでしまいます。なので傍から見ればまだまだ途中の状況でも最後の詰みまで見えてしまい読んでダメだと判断しての降参なんですね。私たちは最後まで読めないから最後までやらないと終わらないと思う。

プロでもたまに相手のチョンボもあって助かる場合もあるんだから最後までやってもいいんだけどね。

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