2012年2月23日木曜日

将棋九世名人、大橋宗英は献上詰将棋図式を作らず 指し将棋振興を謳った歴代最強の...

将棋九世名人、大橋宗英は献上詰将棋図式を作らず 指し将棋振興を謳った歴代最強の実力の名人とされています。
ですがこれは伊藤宗看・看寿の作った献上図式の将棋無双・将棋図巧に太刀打ちできなかったからですか?詰め物を蔑視する逃げ口上ばかり伝わっていますから、英断をもった改革者なのか家元の立場を守る保身故になのかどちらでしょう。


|||



基本的に指し将棋の棋力と詰将棋の創作力は別モノということなんでしょう。江戸時代でも在野の詰将棋作家は何人もいましたし、現代でも一流といわれる作家のほとんどはアマチュアです。宗看と看寿、あと「舞玉」の九代大橋宗桂のような存在が稀有な例だったのでは。



そう考えると、もともとの動機は逃避だったかもしれないけど、結果的には改革につながってオッケーといったところかな。

0 件のコメント:

コメントを投稿